AI時代の便利さ〜イエス様ならどうされる?WWJD(What Would Jesus Do?)

AI時代の便利さの陰で問われていること〜何を⼟台に⽴つのか

私はAIの超初⼼者。スマホ越しのチャッピー(ChatGPT)に日常の疑問を投げかける程度で、⾃分よりも知識豊富なオウムと会話しているような感覚でしか使えていません。

調べもの、⽂章作成、アイデアの整理などなど。コスパ、タイパの時代、AIはいつの間にか自分のニーズにもぴったりの存在になってしまっています。しかしながら、AIに頼れば頼るほど、私の⼼には何かが引っかかるようにもなりました。こんな時イエス様ならどうされるかしら?・・と。

イエス様ならどうされるだろうか?この問いかけがリストバンドと共に世界中へ広まったのは1990年代だそうですが、私にとっては今でも新鮮な言葉です。そして今、AIという新しい技術と向き合う時に、私は改めてこの問いかけに⽴ち返りたいと思わされました。どんな時代でも、たとえ便利な道具を前にした時でも、クリスチャンである私が⼿に持っている羅針盤は変わらないはずです。

最近ではAIから生成された情報を⼗分に確認せずに使った結果、⼤きなトラブルや事件に発展したというニュースも珍しくありません。こうした話題を⽿にする度、私は「神様、私はこの新しいAIの時代とどう向き合えばよいのでしょうか?」と祈らずにはいられません。

イエス様

イエス様ならどうされる?WWJDWhat Would Jesus Do?

私にとって揺るがない⼟台、絶対的な基準、それは聖書です。AIが何と⾔おうと、まず聖書に照らす。”イエス様ならどうされる?WWJD(What Would Jesus Do?)”これが私のハルシネーションとファクトチェックの源は聖書のみ言葉です。

「あなたのみことばは、私の⾜のともしび、私の道の光です」(詩篇119105節)

どんなに賢いAIの声も私の道を照らす光にはなり得ません。光はただ⼀つ、主のみことばだけです。だから私は⽴ち⽌まって心に問いかけます。イエス様ならどうされるだろう?聖書には何と書かれているだろう?

考えてみれば、イエス様ご⾃⾝も荒野で誘惑を受けられた時、堂々と語りかけてくる声に対して、その都度「こう書いてある」とみことばをもって応えられました(マタイ4章参照)。相⼿の⾔葉がどれほどもっともらしく聞こえても、主はまず神のことばに照らされたのです。

AIは私の不得手なところを⼿伝ってくれます。⼀⽇かかる作業も、数分で形にしてくれることもあるでしょう。その恵みは素直に受け取ればよいのだと思います。けれども最終的な判断と、私の価値観の確認と最終判断は聖書です。

「⼼を尽くして主に拠り頼め。⾃分の悟りに頼るな。あなたの⾏く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる」(箴⾔356節)

⾃分の知識にも、AIが生成した答えにももたれかからない。ただ主イエス様に拠り頼む。そこさえブレなければ、必要以上にAIに振り回されることにはならないと確信しています。

今後、AIはさらに進化し、私たちの⽇常に深く⼊り込んでくることでしょう。だからこそ必要なのは、便利な部分は感謝して活⽤しながらも、常に主の御前で考え、み言葉に照らして「イエス様ならどうされる?WWJD(What Would Jesus Do?)」と、真実を確かめる姿勢を持ち続けることです。

イエス様だったらこの新しい技術をどう⽤いられるだろう?きっと⼈を愛し、⼈に仕え、神の栄光をあらわすために、知恵をもって⽤いられるに違いないと想像しています。私もそのようになりたい…WWJDというキーワードを胸に、主に拠り頼みながら、今よりも少しずつ、けれども確かな⼟台の上で、⼼を尽くして主に拠り頼みながら、AIと付き合っていきたいと願っています。

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