初めての日本語の賛美
クリスチャンになった当時、私はアメリカ人(英語の)教会に集っていました。英語が理解出来ない私に寄り添い、”手取り足取り”救いへと導いてくれた教会のアメリカ人の友人達には本当に感謝しています。
幸いな信仰生活を送っていた私でしたが、しだいに自分と同じ日本人が集う日本語で礼拝と賛美を捧げる教会への導きと渇望が徐々に湧いてきていました。
幸い、住まいがあったサウスベイには日系人コミュニティで有名なエリアで日本人教会がいくつも存在しており、幾度か日系教会を訪れる機会がありました。
言語のハンディを憚ることなく思いきり神様の素晴らしさを語り合える喜びに興奮したのを覚えています。なかでも1番心に刺さったのが、その日礼拝で歌われていた賛美でした。それは私にとって初めての日本語の賛美でした。
声楽を学んだ私にとって、旋律(音楽)は言語を超えて直接感性に語りかける一面があります。なので英語の賛美も、自分はきちんと心を込めて歌っている、理解していると思い込んでいました。
しかし、一言一句をしっかりと噛み締めながら歌う事が随(まま)になる日本語(母国語)の賛美に触れた時、今まで自分が歌っていたものとは異なるものを感じたのです。それまで歌っていた英語の歌詞や旋律をなぞって歌うだけの空虚な状態だったとでも言うのでしょうか・・。
日本語で賛美をした瞬間、それまでの飾られた外面ではなく自分の本心がそのまま言葉として現れ出ていて、初めてパズルがピタッとはまるような感覚を覚えました。
そして、その礼拝で歌われた1曲が山内修一先生の賛美「忘れないで」でした。
賛美「忘れないで」を、絆ぐ・・
私にとって山内修一作品への思いは賛美は優しく子供に語りかけるようなシンプルな歌詞です。
忘れないで いつもイエス様は 君の事を見つめている
だからいつも絶やさないで 胸の中のほほえみを
難しい文言でなく、自分の一番素直になれる部分にそっと寄り添うようなイエス様への賛美のことば。あれこれ考えずに「はい、イエス様」と、そのままを受け入れることが出来る喜びでいっぱいになりました。
そしてこの思いをメロディに乗せて、私自身も沢山語っていきたい、伝えたいと思わされたのです。これが私の日本語賛美との出会い。そして賛美の原点でした。そしてこの体験を与えてくれた賛美「忘れないで」を歌い続け、世の人々に絆(つな)いでいきたいと願い祈ります。
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