私達はどこの国に属し、また誰が私達の王なのか・・”King of my heart”

この原稿を書いているのは11月04日。昨日はアメリカの大統領選挙の投票日でした。

今現在ではまだ決着が着いておらず、昨晩からTVではずっと生放送でこの国の行方を追っているところです。

もうしばらく前から国中がこの選挙の話題で持ちきりでしたが(当たり前ですね)、それについての原稿を書こうとはまるで考えていませんでした。

というのも、私はアメリカでの選挙権はありませんし、そもそもの政治も詳しくなく、おいそれと意見など述べられるような立場にないからです。

・・・が、今日は「リーダー」という大きな視点で少し思いを巡らせてみたいと思います。

国に限らず、リーダーという立場は重い責任が伴い、またその品位や生活全般において非難されないよう努め、なおかつ他の者に対して仕える姿勢でなければならない・・・。

聖書に書かれているこれらのリーダーの資質を読むと、なんてハードルの高い仕事!自分には到底当てはまる箇所がない・・と、尻込みしてしまう私です。

(例:「ですから監督は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、礼儀正しく、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、乱暴でなく、柔和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人でなければなりません(第1テモテ3:2〜4)」)

もちろんどんな立派なリーダーでも人間ですから、こうなろうと心掛けたとしても100%全うする事は不可能でしょう。

信仰深い偉大な先人達も、その人生のどこかしらで失敗し、御心から離れてしまう経験をしている事実を聖書は教えてくれています。

かと言って好き放題していいわけでは決してなく、リーダーは主にあってこのように歩むように「任命」されており、また従う私達は祈りをもってその働きを支える事も示されています。

(例:「王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい(第1テモテ2:1)」)

そして最も大切なのは、導くリーダーも従う私達も、共に神様の主権の中で生かされ、各々の役割を担っているという事実を常に中心に置く事ではないでしょうか?

私達はどこの国に属し、また誰が私達の王なのか・・”King of my heart”

Bethel Musicの曲の中で「King Of My Heart」という賛美があります。

「King Of My Heart」(日本語訳:Lauren Horii)

助け求め 駆け寄る場所が
いつもあなたで ありますように
渇いたとき 求める水が
いつもあなたで ありますように

You are good, good Oh

もしも私が船ならば
あなたが私の風
この体を 駆け巡る血を
あなたが燃やしてください

あなたは私をがっかりさせない

私達はどこの国に属し、また誰が私達の王なのか・・

心の中心に真のリーダーを置いて日々を生きる時、嵐の中でも揺らがない碇を身に着けて、また行き先へと導いてくれる風を帆に受けて、世の荒波を航海していく事が出来ます。

この世界でのリーダーが正しく歩んで働いてくれる事を心から祈りとりなしつつ、選挙結果の大波にも揺らがない心を持って、待ちたいと思います。

Lynn (リン)

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