「恵み」の時を生きる〜主の愛の御手に包まれ、癒され、そして立ち上がる力

今日、この原稿を書いている日は2021年9月11日(土)。アメリカの同時多発テロ「9.11」から20年という節目の日になります。

あの日、私は日本からTVで同時多発テロのニュースを目にしましたが、あまりに非現実的な映像に、ただただ呆然としてしまった事を今でも鮮明に覚えています。

遠い日本からでも衝撃は察するに余りありましたから、実際にアメリカにいらした方、ましてや大規模テロという特殊災害に襲われた地に関係者がいらした方は、20年経ったいまもなお、心を痛め、悲しみと憤りを感じておられることを想います。

人の思いを超える物事に対して

常識的な思いを超える悪い出来事が起こった時、以前の私は絶望し、先が全く見えない暗闇を感じ、ただただ途方に暮れていました。

しばらくして思考が戻り始めると、なぜこのような事が起こったのだろう…何が原因だったのだろう…あの時こうだったら、こうしていれば….と、頭の中で様々な思いが去来し、平安とは程遠い心持ちとなるのが常でした。

日本でも古来から「神も仏もない」と、人知を超える出来事への怒りや無慈悲、無常を嘆く様を表現していますが…果たして本当にそうなのか?作家の瀬戸内寂聴さんはこのように仰っていますが、

神も仏もあるかないかと疑いつづけているうちは、ないのです。
あると信ずるとき、それは自分のなかにあると、仏教は教えてくれます。

瀬戸内寂聴

神なく、望みない人生を送っていた私も、今では救い主イエス様の福音を信じ、自分自身の中に受け入れています。

主のご計画

主が私を、そしてこの世界を愛しておられるというのは、聖書の御言葉を信じる者にとっては揺るぎのない真実です。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

では何故、そこまで愛されているこの世界に不幸が訪れるのか…

この問いに正確に答える事の出来る人はいないでしょう。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。ー主のことばー」(イザヤ55:8)

と書かれてある通り、主なる神様のご計画は私達の思いの遥か超えたところにあり、のちに振り返ってみてやっと、その完璧で壮大なプランの一部に気付く事になるのです。

ただ、愛なる方は救いと希望の言葉も続けて下さっています。

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っているー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

ここまで読んで初めて、神様のそのご計画のゴールがいつも「わざわいではなく平安」を与える、最善で完璧なものである事を知る事が出来るのです。

癒やし主、主の愛の御手に包まれ、癒され、そして立ち上がる力

この、見えないけれども差し伸べられている”主の愛の御手”を握り返す事が出来るか否か…。

それこそ信仰であり、私自身が自分で握りしめている様々な思いを手放さなければ、その御手により頼む事は出来ません。

しかしその力強い御手を信頼した時、その愛の御手に包まれ、癒され、そして立ち上がる力をも頂く事が出来るのです。

コロナ禍の世に在って、今も20年前のテロの時のように不安や不満が渦巻いています。

今この時もまた、主の”平安と希望を私達に与える”ご計画の只中にある事、その「恵みの時」に今も生かされている事を覚え、主に感謝の祈りと賛美を捧げます。

Lynn

「今は恵みの時」

作詞・作曲: 中畑友里

傷ついた心に 主のなぐさめが

この荒れ果てた地に 主の回復が

今 愛の御手が すべてを包み 癒やし 立ち上がらせる

今は恵みの時 今は救いの日

主はこの国を 愛しておられる

今は恵みの時 今は救いの日

主の栄光がこの国に 満ちあふれる

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