元々食器をコレクションするのが大好きな私ですが、度重なる引越しと(転勤族なので引越エキスパートです♪)コロナ禍での生活で身の回りの整理整頓に勤しんだ結果、今は限られた種類の実用的なものだけが食器棚に並んでいる状態になっています。
ほとんどは簡単に買い足せるような安価なものですが、一方で思い入れがあったり、ビンテージや作家さんの作品で同じ物はもう手に入らなかったりと、例え欠けてしまっていて状態が悪くても処分出来ない物もいくつか手元に残っています。
特にビンテージ品は目に見えづらい部分に傷が付いていたりして、それに気付かずに手を切ってしまう事もたまにあり、その度に処分も考えるのですが…いやいや、やはり愛着があって無理。
そんな時、「金継ぎ」が手軽に家でも出来るキットがあると知りました。ご存知の方も多いかと思いますが、金継ぎとは、欠けたり割れてしまった陶器を金を混ぜた漆を使って継ぎ合わせて修復する日本の伝統技術です。

ここアメリカでは手に入れるのは難しいでしょうが、日本に帰ったら是非試してみて、お気に入りの器を復活させてあげよう!と、楽しみにしています。
一度金継ぎに興味を持ったからでしょうか?この工程を神様と私達の関係に見たてたメッセージに触れる機会が立て続けにありました。
聖書の中では主が陶器師、私達は粘土(器)であると例えられている箇所があります。
「主よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。」(イザヤ64:8)
聖書の中では主が陶器師、私達は粘土(器)であると例えられている箇所があります。陶器師である主は、私達1人1人を特別な器として、それぞれ用途に合わせて個性豊かで二つとないものに造って下さっています。
主には粘土をどのように扱うかの一切の権利があり、いい粘土にする為に邪魔な小石を取り除いたり、よく練ったり、そして火で焼いて強い器へと形造られます。
一方、弱く壊れやすい器である私達は、日々の歩みで欠けやヒビを沢山こしらえます。悲しみや試練、痛みや思い煩い、そして犯してしまう過ちや失敗…傷のない完全な器は1つとしてありません。
そんな、一見もう価値がなくなってしまったように見える器も、陶器師は高価な金を使って修復し、元の姿よりも更に美しく、また他にはない魅力的でより価値のあるものへと造り替えてくれるのです。
そう思うと欠けだってヒビだって怖くない。すぐ隣にいつも治してくれる方が共にいて下さるのですから。そして私達の欠けを覆い、主との割れ目を繋いで下さるようにと十字架にかかってとりなして下さったのは、高価で尊い金であるイエス様です。
この素晴らしいイメージを元に、自分自身も金継ぎされて大活躍の器へと生まれ変わっている姿をしっかりと思い描いて、「ご自由に用いて下さい!」と主に向かって目を上げていきたいと思います。
Lynn

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